計り知れない喪失と仄かな希望を綴った村上春樹・珠玉の短編「ドライブ・マイ・カー」待望の映画化!出演:西島秀俊、三浦透子、…
第74回カンヌ国際映画祭で日本映画では初の脚本賞をはじめ、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞を受賞。
179分という長さは全く感じさせません!!
これはねぇ……脚本賞だの監督賞だの、あのへんにノミネートされたり受賞されたりする理由がものすごくわかりましたね。
179分って聞いた瞬間に、
と正直思ったんです。
この手の作品で3時間超って絶対どこかで飽きると思ったんです。しつこく描きすぎて中だるみするとか、無駄な絵やエピソードがあるとか。
それが一切ない。必要な絵と必要なエピソードと必要な台詞と必要な会話しかない。無駄が一切ない3時間超なんて私は初めて見ました。
濱口 竜介監督という方はもともと脚本力に定評のある監督さんでいらっしゃるそうなんですが納得するしかありませんでした。
作品としては、村上春樹氏の短編小説集「女のいない男たち」の中に収録されている「ドライブ・マイ・カー」を主軸に同短編小説集に収録されている「シェエラザード」と「木野」のエピソードを投影しつつ、映画内演劇の「ワーニャ伯父さん」の内容を絡めながら展開していくというもの。
もう展開や繋ぎ方が「見事」としか言えなかった。
私は「ねじまき鳥クロニクル」でトラウマ(1ヶ月以上、描写のえぐい内容でうなされました(^^;))になって以降、村上春樹作品には一切手を出していないので、原作がどういう感じなのか、映画と原作でどのくらいの相違があるのかはわからないのですが、主人公の思いと「ワーニャ伯父さん」の舞台のセリフがリンクして繋がってストーリーがするすると展開していくのが本当に理解しやすくてわかりやすくて。「巧妙」っていうのはこういうことをいうんだろうなって思いながら観ていて。
気がついたら終わってました。
映画館で観るとしたら、物理的には179分なので、鑑賞前に必ずお手洗いは済ませて、飲み物はコーヒー厳禁(笑)ってとこですかね。
俳優陣の演技が素晴らしい!!
飽きさせない3時間超の一端を担っているのが脚本自体とやっぱり役者さんです。
主演の西島 秀俊さんからはずっと目を離せず、恋敵(というのか)岡田 将生くんのちょっと危うい若者っぷりに目を奪われ(オーディションシーンのキレた迫真ぶりが危険なキャラを彷彿とさせていて何気に好き♡)
奥さんの霧島れいかさんの演技による説得力に感銘を受け(あのキャラは霧島さんだから成立できたと信じてます。それくらい音というキャラは意味難解な女性です)
ドライバー・三浦 透子さんの存在感というのか、佇まいに終始惹きつけられました。
三浦さんはちょうど朝ドラ「カムカムエブリバディ」にも出演していらっしゃいましたが、凛とした雰囲気が本当に似合う。本作でもその魅力が如何なく発揮されていたと思います。
基本的に心を開かず、淡々として、かといって陰気でもない。ただ普通に佇んでいる。それがまったく不自然じゃない。きちんと存在している。
奥さんの不倫を知っているのに責めることができないでいる主人公の家福、子どもの死という傷を埋めきれない奥さんの音、音と関係があったと思われる高槻、親と深刻な確執があったみさき。
それぞれが人に言えない重苦しい何かを抱えながら生きている。それぞれが壊れそうなギリギリの精神的な何かを抱えているんです。
だから衝動を抑えきれなくなって音や高槻みたいに社会的に逸脱した行為や嗜好に走ってみたり。
家福さんみたいに役と自分が重なりすぎて台詞が言えなくなるっていうのはものすごくよくわかるし。
愛しているからなのか、憎んでいるからなのか、関係性を崩すことに恐怖を感じるとか。
自分が手を伸ばさなかったことで相手を救えなかったのか。それとも苦しみから解放してあげられたのか。
ラストの家福とみさきは傷のなめ合いになるのかもしれないけれど、互いに共感できる誰かは絶対必要だと思うんですよね。一人で抱え続けるには重すぎる傷ですよ。
口にすることもできず、伝えることもできなかった心の澱を、身体の外へ出しきるってとてもしんどくてとても大事。
いろんな謎とメッセージと普遍性。それを役者さんたちが全力で私たちへ問いかけてくれます。
広島の景色がいい感じで相乗効果だったらしい!!
私がこの作品を観に行った理由の1つがこれかな(笑)
地元(いや、県内ってだけで結構離れていますが)で撮影されてるって身近に感じますよね。
瀬戸内の海って穏やかなんですよね。日本海みたいに黒くて荒々しくもないし、太平洋みたいにだだっ広いわけでもない。
小さな島が点在していて、本州と四国の間に位置しているから、小ぢんまりとして、太陽の光を反射して、いつも水面がキラキラしていて静かで。心が落ち着くんですよね。
もしかすると知らず知らずのうちに登場人物たちの心を癒す働きもあったのかもしれません。
実は、広島でロケが行なわれたのはコロナのせいらしいんですよ。
本来は広島でのロケは存在しなかったのだけど、コロナでいったん撮影が中止になって、ロケ場所を変えなければならない事案が出て、それで広島がたまたまロケ場所に選ばれたという経緯があったようで。
これが功を奏したのかどうなのか。賞を取る一端を担ったのが広島の風景であったのなら嬉しいですね(^^)
9つもの多言語が飛び交う!!
この作品、韓国、台湾、フィリピン、インドネシア、ドイツ、マレーシアの海外キャストが出演され、作品中では韓国手話まで登場し、9つもの言語が飛び交う多言語劇でもあります。
もともと家福さんがそういう演出を好むという設定もあったんですが、舞台上で全く違う言語を喋り合いながらも意思疎通が成立する不思議空間があったり(外国語は舞台上に日本語訳などが映写される)ドラマ内でも多言語がばんばん飛び交います。
なんつーか、インターナショナル感を感じましたね(笑)
だから舞台の練習風景である本読みも変わっていて、自分のセリフが終わったらテーブルを叩いて合図するんです。「私のセリフ終わったよ」って。そしたら次のセリフの役者が喋り出して自分のセリフが終わったらテーブル叩いて、みたいな。
互いに言葉がわからないから、そうやって最初は音とかニュアンスで覚えていく手法なんでしょうね。
多言語劇に韓国手話というのは可能性を感じましたね。インターナショナル通り越してバリアフリーとかユニバーサルデザインですよ。
演劇に国境も障害もない。表現に隔たりはない。
「みんなわかりあえる」ってメッセージを受け取れると思いませんか?
単館上映ものだと思うが、どうなんだろ
私はこの作品、単館上映ものだなって思っています。もちろんいい意味で。
派手な作品ではないし、万人受けする作品でもない。
下手にカンヌやアカデミーで賞を取っちゃったもんだから万人が観に行くことになり、共感できなくて「わけわかりませんでした」って感想のなんと多いことか。
「玄人受けの作品であって素人には理解できない」と書いてあるものまであって、思わずため息ついちゃいました。
映画に玄人受けも素人受けもないと私は思っています。作品は作品だよ。
ただ、娯楽作品は単純明快だから共感できる人が多く、単館上映ものの多くは心の傷やひだをものすごく丁寧に描いているものが多いから想像力や共感力を必要とするだけです。
想像力と共感力は人生経験が大きく関係するところもあるので、単館上映ものを「玄人受け」と言うなら、映画のではなく「人生の玄人(苦労人)」向けと言った方がいいかもしれません。
私はこの作品が好きですし、冒頭でも述べましたとおり、今まで観てきた単館上映ものの中でも脚本構成はピカイチです!!
役者さんたちの演技や作品自体のメッセージ性も相まって、賞を取って然るべき作品だと思います。
「ドライブ・マイ・カー」を見てみたいなら!!
